本龍院 [寺社仏閣]
待乳山 本龍院 (東京都台東区浅草7-4)
『待乳山聖天』 (まちつやましょうでん)として知られる本龍院は浅草寺の支院のひとつで開山は推古天皇3年(595年) 本尊・大聖歓喜天
二股大根(上)と巾着
灯籠に二股大根のモチーフ
境内の柱や灯籠などいたる所に見られる大小さまざまな二股大根と巾着のモチーフは、聖天のご利益のシンボルで、大根は健康長寿・良縁成就などの功徳を示し 巾着は財宝の象徴で商売繁盛のご利益を表しているそうです。
歌川広重の錦絵にも描かれている江戸時代から伝わる築地塀と石像たち
浄名院 (へちま寺) [寺社仏閣]
東叡山 浄名院 (東京都台東区上野桜木2-6)
寛永寺三十六坊のひとつとして寛文6年(1666年)創建された。山門(享保年間建立)をくぐると左手に大きな地蔵菩薩が見えます。
地蔵エリアの入口にある「江戸六地蔵」の第六番
へちま棚の中の「へちま地蔵」
浄名院は「へちま寺」とも言われ旧暦8月15日には咳、ぜんそくを癒すという「へちま供養 (へちま加持祈祷会)」が行われ境内が賑わいます。
八万四千体の地蔵群 ・この地蔵には一体ごとに「八万四千体のうち〇〇番目」という通し番号、奉納した施主と日付けが刻まれています。施主の名の中には政財界、梨園など各界の有名人もいるとの事です。
探してみるのも面白いかも・・・また現在でも奉納があるので八万四千体の地蔵は増え続けているそうです。
大井の大仏・如来寺 [寺社仏閣]
西大井の住宅街で大きな大仏たちに出会えます。
「大井の大仏」。「だいぶつ」ではなく「おおぼとけ」です。
帰命山 養玉院 如来寺 (東京都品川区西大井5-22)
如来寺の開山は江戸時代寛永年間、摂津の仏師・木喰但唱(もくじきたんしょう)が芝高輪に創建し、現在の地に移ったのは明治41年(1908年)
「大井の大仏」五智如来像が安置されているのは山門を入って一番奥のお堂「瑞應殿」。
瑞應殿入口の左右では立派は仁王像がお堂を守っている。
瑞應殿の中に入ると目の前に赤茶色に輝く高さ約3mの坐像が五体横一列に並んでいる姿は壮観です。
手前から釈迦如来・阿弥陀如来・大日如来・宝生如来・薬師如来。
左手奥には如来寺を開き、五智如来像を造立した木喰但唱の小さな像が控えめに安置されていました。
「大井の大仏」。「だいぶつ」ではなく「おおぼとけ」です。
帰命山 養玉院 如来寺 (東京都品川区西大井5-22)
如来寺の開山は江戸時代寛永年間、摂津の仏師・木喰但唱(もくじきたんしょう)が芝高輪に創建し、現在の地に移ったのは明治41年(1908年)
「大井の大仏」五智如来像が安置されているのは山門を入って一番奥のお堂「瑞應殿」。
瑞應殿入口の左右では立派は仁王像がお堂を守っている。
瑞應殿の中に入ると目の前に赤茶色に輝く高さ約3mの坐像が五体横一列に並んでいる姿は壮観です。
手前から釈迦如来・阿弥陀如来・大日如来・宝生如来・薬師如来。
左手奥には如来寺を開き、五智如来像を造立した木喰但唱の小さな像が控えめに安置されていました。
雑司ケ谷鬼子母神 [寺社仏閣]
国の重要文化財に指定されることになった雑司ケ谷鬼子母神堂、正式名は「法明寺鬼子母神堂」(寛文4年・1664年創建) 子育てと子授けの神様として信仰されています。
ご本尊の鬼子母神像は鬼形ではなく幼児を抱いた菩薩形の美しい姿をしているので、とくに角(つの)がない鬼の字が用いられ親しまれていると言われます。
鬼子母神堂境内で200年以上前からお店を開いているという「上川口屋」
タグ:鬼子母神 雑司ケ谷
虎ノ門金刀比羅宮 [寺社仏閣]
東京都港区虎ノ門1-2
讃岐丸亀藩主の京極高和が領地・讃岐の金刀比羅大神を万治3年(1660年)に三田の江戸藩邸に邸内社として勧請、その後 延宝7年(1679年)に現在の地、虎ノ門に移ったと言います。
桜田通り(国道1号線)沿いの虎ノ門ビル街の喧騒の中にあり、サラリーマンなどが通りがかりにお参りをしたり、いっぷくの清涼剤になっているようです。
ここの手水舎はセンサーがあり、人が近づくと水が出るようになっていました^^
タグ:金刀比羅宮 讃岐 丸亀藩
愛宕神社 [寺社仏閣]
芝増上寺 [寺社仏閣]
三解脱門と東京タワー・JR浜松町駅、都営浅草線、大江戸線大門駅から歩いて行くと見えてきます。
三縁山 広度院 増上寺 (さんえんざん こうどいん ぞうじょうじ) 開山・明徳4年(1393年)
増上寺には徳川将軍家二代秀忠、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂、二代夫人(お江)、十四代夫人(和宮)などの墓所があり特別期間には中を参拝できます。
増上寺梵鐘・江戸時代の川柳に『今鳴るは芝(増上寺)か上野(寛永寺)か浅草(浅草寺)か』と詠われ江戸三大名鐘の一つで、東日本では最大級と言われています。
鐘楼堂前の梅の木に、メジロが・・・
(ブログの先輩にお教えいただき「うぐいす」を「メジロ」に書き換えました)
行人坂から目黒不動へ・Ⅳ [寺社仏閣]
参道の八つ目うなぎで有名な「西川」を右に曲がると突き当りが目黒不動です。
目黒不動尊・正式名を泰叡山龍泉寺といい、大同3年(808年)慈覚大師により創建され関東最古の霊場としてまた江戸五色不動の一つとして栄え、庶民の行楽地として賑わいを見せていました。
独鈷の滝・銘板には「このお滝は今を去る千二百年程前、当山をお開きになった慈覚大師円仁が堂塔建設の敷地を占ってご自身が持っていた独鈷を投げたところ忽ち竜泉が湧き出したので之を独鈷の滝と名付けられた」とあります。
水かけ不動明王・独鈷の滝は開山以来、千二百余年絶えず湧き出していると言います。
境内にはサツマイモ栽培の普及に貢献した江戸時代の儒者・青木昆陽の碑があり10月28日には「甘藷祭り」が行われ当日は大変賑わうそうです。
行人坂から目黒不動へ・Ⅲ [寺社仏閣]
五百羅漢寺から、お不動さんへの商店街に出ると「蛸薬師」の愛称で知られる「成就院」があります。
成就院・目黒不動の開祖、慈覚大師が天安2年(858年)に創建した天台宗の寺。
本尊・秘仏薬師如来 (毎年1月8日の初薬師縁日にだけ御開帳)
お静地蔵・徳川2代将軍秀忠の側室、お静の方がわが子・保科正之の栄達を祈願し奉納した「お静地蔵」が今も残っています。
手水舎前に箱庭が
タグ:成就院 蛸薬師 お静地蔵